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コギト・エルゴ・スム

こなばんわ、ぐりおにです。

本日は木曜日、僕が一時限目から授業を受けねばならぬ大変悲しい曜日です。
でも早く帰れそうなのでそれはまあ許しましょう。
早くいって早く帰れる、これがどんなことより幸せなのかもしれません。
家で何をするか考えるとドキドキワクワクです。やらねばならないことを考えると不思議と動悸が落ち着いて気分も下降曲線。不思議だなぁ。

どうでもいいですけど今日のお昼は冷やし中華だな。そんな気分。

さて、大学と言いますと、入学した学部ごとに割り振られている専門科目の他に一般教養、パンキョーと呼ばれる単位も取得せねばなりません。
その中でも哲学をとっているのですが、これが大変面白い。
学べば学ぶほど疑問が出てきます。
デカルト、なんて個人名詞なら聞いたことあるかもしれませんね。
「我思う、故に我あり」で知られるデカルトさんです。
哲学は自分の事を、人間の精神の事を考える学問と思われがちですが、その起源は世界を理解する為に始まった学問です。
その世界を理解する為にはまずそれを捉える私たち人間を理解する必要がある、だから人間の事についてまず議論しよう、と言った感じです。

今やっているところは人間の精神と身体について。
少しだけお話をさせてもらうならば、
デカルトさんは精神と身体は別々に存在していて切り離しが可能。その上で、精神が優位にあり身体という物体を動かしている。心身二元論。
メルロー=ポンティは精神と身体はくっついてるくっついていないっていう二元論では考えられない。ついてる部分もあるしついてない部分もあるんじゃないか。
ってな具合。
みなさんはどう思いますか?

僕はデカルト派です。
精神と身体は切り離し可能だと思うんです。
言わばハードウェアとソフトウェアみたいなもの。
人間のアイデンティティはその各個人の思考法にあると考えています。
例えば君達自身が怪我したとします。
でも、気がつかない事がありますよね?
自分が怪我している事に気がつかない。
でも、それを視覚的に識別した途端、その箇所が痛くなってくるってことがあったと思います。
もし精神と肉体が融合しているならば、身体の欠損と痛覚は綺麗にリンクしているはずですのでどんな傷に対しても即座に痛みを返すはずです。
でも、見て初めて自分の経験として認めて、それでやっと痛みがくる。
これは精神と肉体との間にラグがあるからじゃないでしょうか。
うん、うまくいえた気はしないけど、こんな感じ。
きっと脳みそを誰かと交換したらどっちをその人と呼ぶかといえば、交換先だと思います。

よければみなさんのお考えをお聞かせください。
哲学って結構楽しいですよ!


それでは今日はここまで。
また次回。


コメント返信。コメントありがとうございます!

服の湿度98%。より
分公さん
>もちろん分公もびちゃびちゃです。 家から学校まで8キロ、高低差100mぐらいを毎日自転車で通ってるので毎朝公害レベルの汗と熱気で授業を受ける毎日です^q^

なんと……アグレッシブすぎる!
何故そんな修羅の道を行くのでしょうか……
夏場を幾度も乗り越えてきたなんて信じられない。死んでしまいます。
お互い周りに迷惑かけぬよう、今年もなんとかやり過ごしましょう……
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わーく:大学2年生なう

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