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表と裏が一つと一つに。

こなばんわ、ぐりおにです。

花火を写真であげるぞー! なんて言ってから一月経ってますね。初志貫徹とはなんなのか。
あげます、次の記事は一月前の内容になりますが花火の様子をご覧いただきます。
ご飯は冷めないうちが美味しいですが、温かみを失った話題というのも味気ない。早くブログを習慣化したい。しなおしたい。


先日、人の死に触れてきました。
友人のお母さまが脳内出血を起こし、そのまま即日の内に息を引き取られたようです。
日常生活や健康診断に於いても脳内出血というのは予測がつかない事が多く、僕の叔父も脳内出血(くも膜下出血)で亡くなっています。
ホント、急な出来事。
タクシーの運転手だったうちの叔父の場合、タクシーを運転して自分の家に帰ってきたのはいいものの、車を止めて降りるまでの間に出血を起こし、二週間ほど意識が朦朧とした状態で命を繋いではいましたが、やはり帰らぬ人となってしまっております。
それぐらい、急です。

いったい、死ぬとはどういうことなのでしょうか。
我々は意識を持ったまま死ぬ事はできず、いつだって残される側です。残された側の気持ちしか分かりません。
そのような側からすれば、死とは感覚的に恐ろしいものだと思います。
非日常で、周りに大きなマイナスの感情を残す避けられるものならいつだって避けたい出来事。

それでは命とは、ひいては生と死とはなんでしょう。
端的にいうのなら、命は過程、生が始まりで死が終わりだと思っています。
生と死は表裏一体だとよく言われますが、その通りです。皆さんも頭ではしっかり理解している事と思います。
でも、僕を含めてそれを心でも分かっている人と言うのはほぼ居ないんじゃないでしょうか。
死は生とあまりにも離され過ぎた。
昔、お葬式とは言わずとも人か死んだ後にあの世に送る行事はすべて家の中でしていたそうです。執り行う人も、家族外の人は2,3人しかいない。
日常の中に死があったのです。生きるところも死ぬところも同じ場所。生と死は表裏一体なのですからね。
でも今は違う。
死んだら猶予の後に葬儀場へと送られ、多くの会場員に誘導されて、一つのプログラムをこなしていく。
明らかに日常ではありません。
死は生と同列のものではなく、生とは違う特別なものになってしまいました。
だから僕達は怖がるのだと思います。
普通ではない、酷く悲しい一大プログラム。

だからといって割り切れるものではありません。
他者には伝わらない程の喪失感、もう二度と会えない悲しみは心に穴をあけるには十分すぎる。
今回の場合なら、現実問題として家事が膨大に増えると言う点もあります。
出来るならば、僕達もその苦労に力添え出来たらなと思います。

皆さんも、今一度死について考えてみてはいかがでしょうか。
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